4/04/2010

外国人の目から見た日本と中国

日本に来る前に中国の大学で学び、その後中国でヨーロッパ系企業で働いた後、来日したファビ。
彼女が経験した中国と日本の違いについてエッセイを書いてくれたのでご紹介いたします。



日本と中国を比較するとどんな感じ?あなたの生まれがその見方に影響するでしょうか?あなたの文化的背景ばかりでなく、社会環境やしつけ、あなたの国の政治システムまで影響しているのでしょうか?

私は共産主義時代のカトリックポーランドに生まれ、共産主義が終わった1989年に別の共産主義国中国にわたりました。その時、まだ高校を卒業したばかりだったので、どちらかというと私は中国で育ったと言えます。

日本の多くの重要な文化、例えば漢字や芸術、仏教や儒教や伝統工芸技術などが中国から渡来したとはいえ、日本と中国の間には価値観や職業観、政治体制などに大きな違いがあります。アメリカの著名な政治学者で刺激的な『文明の衝突』“The Clash of Civilizations and the Remarking of World Order” の著者S. ハンチントンによると、現在6つの主要な文明グループがあるそうです。西洋文明、ギリシャ正教文明、イスラム教文明、ヒンディ文明、中国文明、日本文明。彼は、日本が特徴のある文明国家であり、一方、中国は国家であるふりをしている文明だと主張しました。
文化女子大を引退した私のポーランド人の友達の教授は別の説を主張しています。彼は、日本と中国の違いは全て、大陸国家と島国の違いで説明できると信じています。

極東に20年以上暮らした経験(中国に8年、日本に13年)から、中国人と日本人の違いは、中国人と西洋人との違いより大きいと思います。
言い換えると、中国は日本より西洋に近いと思います。他のアジア外の人と同じように私は、日本人とどのように接したらいいのかを中国人からまなぶことができ、またその逆もそうだと当たり前のように思っていました。しかし、私の中国での経験が必ずしも有益ではない、あるいは場合によっては有害であり、日本人との交流の時にトラブルになる事がわかりました。

例えば、中国に住んでイタリアンの食前酒を製造、販売する外資系企業に勤めていたときには、常に値段の交渉をしなければなりませんでした。それは会社の契約の為に10万ドルの値切り交渉をすることから、自分の為にトマトを500グラム買う時まで同じ事で、値段の交渉はビジネスの全てのレベルでの基本でした。中国人にとって値段交渉はエクササイズでありエンターテインメントでもあるのです。
私はこの生存競争のゲームをかなりはやく習得し、実際楽しみました。でも、日本でそれを初めてタクシードライバーやお土産屋さんで試した時、彼らがかなり真剣に怒ってしまいました。その時私はそんなに怒るなんておかしいと思いましたし、ユーモアのかけらも示さないことに驚きました。

コミュニケーションに関して、日本人も中国人もダイレクトであることを避けようとするのは似ています。ただ、中国人は間接的であることを望むにしても、彼らはその隠れた意味がどのようなものかのヒントをくれます。言い換えると日本人は、言外のニュアンスを好み、時によっては、二重否定や曖昧さを楽しむことからすると中国人はもっと直接的といえるかもしれません。私は「空気を読む」能力を高めようと努力していますが、外国人の友達は「考えすぎ」と非難します。

日本と中国の社会との関わりあい方の考えが儒教から来ているにもかかわらず、(日本の)人間関係の概念は文字としては全く同じ中国語のguanxi(関係)から分岐しています。日本においては、社交に重点が置かれ、仕事上の付き合いは家族からきっちり切り離されていますが、中国のguanxiの基礎は家族とその延長です。このように中国の考えはポーランドの伝統、すなわち家族が第一で縁故を広げる(これは社会主義の伝統かもしれませんが)と言うものにより近いようです。実はまだ私には、日本の集団的な成功のための組織への協力と個人の成功との対立をどのように調整したらいいのかよくわかっていません。幸いな事に日本人は外国人にとても寛容なので、個人としての社会のルールに従うことにはあまりプレッシャーを感じませんが、私の息子の事になると話は別です。私が一番不満に思うことは息子の野球のチームは、子どもの学校の無い日を全て野球の日にしてしまうことです。子ども達が野球チームに入る前は、休みの日は家族の日でした。公園に行ったり、旅行に行ったり、ただ家で一緒にごろごろしていたりしたものでした。

最後に、日本人は本当に時間に几帳面だと思います。時間に正確なこと、そして時間を管理することは、マナーがよいことの指標です。
それに比べ中国や他の自信のある大陸国家では、一般的に時間はあまり気にしません。日本に長く住んだ結果として、駅で外国人の友達を15分も待つとどうしたんだろうと気になってしまいますが、一方、ホームパーティのとき、汗まみれで2時間キッチンで過ごしたあと、まだお化粧をしている最中に5分早くお客さんが到着されるとパニックになってしまいます。ポーランドでは、パーティに少し遅れて到着して、ホストに少し余裕の時間を与えてあげるのがよいマナーとされています。

Deng Xiaoping(鄧小平)はかつて、中国を統治することは勝手な方向に走って行こうとする50頭の野生の馬をコントロールするようなものだと言っていました。ポーランドでは「ポーランド人が二人いれば三つの意見がある」ということわざがあります。このことから、ポーランドと中国は共通の目的、国家として献身などの統一感が無いと言う意味で共通です。それゆえ、私はよくのびのびとして自由な、リラックスした雰囲気を懐かしく思います。でも一方で、私は日本の信頼感、時間に正確なところ、約束を守る事や安全な事などの居心地のよさを諦める事が出来るかどうか自信がありません。
日本に来る前だったら、もし道路に貴重品が落ちているのを見つけたら、「今日はラッキーな日だ」と思ったでしょう。ただ今は、直ちにそれをなくした人の立場に立って、警察に届け、その持ち主を見つける事にベストを尽くすでしょう。もし私が今、中国やポーランドに住んでいたら、決して車のロックを忘れる事は無いでしょう(日本では何回かありましたが・・)。もしそんな事をしたら、次の日にはラジオやナビが無くなって、もしかしたらガソリンも抜かれているのを発見することでしょう。





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