DCECのGV(講師)で現在早稲田大学大学院博士課程で学んでいるPauloが、イスラエルのエルサレムに会議で行って来ました。
海外旅行が好きな日本人でもなかなか行かないイスラエルの状況について、Pauloが報告してくれました。
もしだれかが、
「君は来年、世界をリードする社会学者の下で、君と同じような世界中から集まる博士課程の学生とともに経済学を学ぶためにエルサレムを訪れる」と言ったら、僕は信じられずに笑ったでしょう。
結局、エルサレムは大半の人がニュースを読んだり聞いたりしただけで知っている場所である。そこはとても遠く、毎日の生活から隔たった場所であるように感じる。たとえ敬虔なクリスチャンの家族に育てられたとしても。
しかしどういうわけか、2013年6月、私が本当に尊敬していて世界的に知られた学者の講義を聞くためにエルサレムのヘブライ大学の講堂にいた。講義の直前は地球の裏側から来た仲間たちと話し、その日の晩にはファラフェル(油で揚げたひよこ豆)で地ビールを飲みながら大きなグループと議論した
(2日後、死海を訪れて、その中で泳げないことに驚嘆した。)
今回は、イスラエルの町をよく知ろうとスケジュールの数日前に到着し、エルサレムのオールドシティとして知られるを場所を歩き回った。
そこには興味深い歴史的な場所がたくさんあった。古代史と数千年の伝統のおかげで、そこはユダヤ人とムスリムとクリスチャンの祈りと内省と崇拝のための場所であった。奇妙でありえそうにもないように思われるが、そこはキリストが死んで埋葬された場所であると言われ、すべての民族の父といわれるアブラハムの彼の息子であやうく生贄にされそうになったイサックはお互い1平方マイル以内だとにあると言われている。
信仰が混ざり合うことで、エルサレムは独特の人を惹きつける都市になっているのだ。
エルサレムは特に眺めが良いわけでもなく、観光客向きの施設があるわけでもないが、生き返り、気晴らしをし、世界で最もメジャーな3つの宗教の共通の神聖化された歴史に参加する機会を与えている。
古い都市の壁の中心部にいても、オリーブ山で都市を見つめていても、生鮮市場でただ食事をしていても、強烈な不思議な感覚を感じないことはないだろう。なぜならこの都市のごく小さなものでも最も重要な記憶をあなたにもたらすだろうから。その場所でしか神聖で個人的で歴史的なことを統合させられない。いろいろな点で、エルサレムは前向きな、あるいは他の思いをあなたに残すでしょう。
私自身を含めて、何世紀にもわたった巡礼者や観光客は何かを学び、決して忘れることはないだろう。