6/08/2010

日本を再び輝ける国にするために!  ~なんで日本は世界に注目される国から夢のない国に転落したか?インド・中国のインパクト

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過去二週間にわたってなぜ日本が過去のような一億総中流の国から現在のような増大する貧困層、格差社会になったのか、アメリカの果たして来た役割について書いてきました。

「外圧によって日本の思考・行動様式そのものを変形あるいは破壊することが日米双方のためであり、日本がアメリカと同じルールを覚えるまでそれを続ける」として、プラザ合意での円高誘導と「新通商政策アクション・プラン」、「日米構造協議」「年次改革要望書」と次々に要求を突きつけ、自民党政権は「内政干渉」と認識しつつ、アメリカの圧力に屈し、国民に隠したまま受け入れることでアメリカに日本が今のようにぼろぼろにされてしまったのでした。


たしかに、このアメリカによる日本改造は日本社会を世界でもまれな中流社会からアメリカと同じように貧困者があふれる格差社会へと変えてしまいました。ただこの格差社会、アメリカと違って大金持ちが増えたのではなく、国民が全体的に貧しくなったという違いがありますが・・・。


しかし実はそれだけではなく、もっと他の要因も重なって日本が世界で相対的に地位が低下していることも見逃してはなりません。

今週は、アメリカ以外の側面に焦点をあてて考えていきたいと思います。


まず、日本がいつまで輝いていたのか?
何をもって輝いているかによって変わってきますが、ひとつの指標として一人当たりGDPを取り上げると、1993年にはバブルは崩壊していましたが、日本が世界で3位になったということでピークに達したといえるかもしれません。

では、その日本がピークだった93年頃と現在の環境を比較してみましょう。

比較してみると、日本が輝いていた時代と今では全く違う環境であることがわかり驚きます。




◆中国やインドなど新興国はまだ大きな存在感を示していなかった

1989年(平成元年)6月4日にあの天安門事件が起こり、西側諸国は抗議し、G7による対中首脳会議の停止、武器輸出の禁止、世界銀行による中国への融資の停止、日本の対中借款の停止などの外交制裁をしたあとであり、1992年以降の改革開放はまだ成果が現れていない時代でした。



◆インターネット

1985年に全国科学財団による学術研究用のネットワーク基盤NSFNetが作られましたが、1995年にNSFNetが民間へ移管され、またOSにWindows95が登場するまでは、一般の使用はほとんどありませんでした。


◆携帯電話・パソコン

今では一人一台が当たり前のようになった携帯電話ですが、この頃はまだごく一部で車載電話機が見られるようになった程度で個人の使用など皆無に近い状態でした。
また、パソコンはネットで繋がっていない状態で使っていて、電卓の親分+ワープロのような存在でしかありませんでした。



◆日本の人口

急激な少子高齢化

 【人口割合(%)】総務省統計局『国勢調査報告』より

     0~14歳  15~64歳 65歳以上 平均年齢
1990年   18.2 69.7 12.1  37.6
2008年  13.5 64.5 22.1 44.3


1990年の時点では、まだ平均年齢が37.6才で生産年齢人口といわれる世代が70%近くを占めていましたが、2008年では、平均年齢が44.3才に上がり、生産年齢人口が65%を割る一方、65歳以上人口が22.1%とふくれあがっているのがわかります。
また、総人口も2007年から減少に転じています。


こうやってみると、20世紀と21世紀の日本は全く別の世界のようであることがわかります。

私たち日本人は、バブル崩壊までの日本の成功体験をひとまず脇に置いておいて、なぜ今の日本が輝きを失ってしまったのかを考え、どうしたらまた再び輝けるのかを考えて見なければいけません。

今、日本が輝きを失ってしまった要因を考えると、日本自身の問題と、日本というより世界全体の問題に二つに分けることができます。

そして、今後日本がどうすればいいのかを考えるとき、それぞれに分けて考えた方がわかりやすいでしょう。


●世界が変わってしまったこと

1)インターネットとITテクノロジーの普及
2)中国・インドなど新興国の発展


  ↓

3)英語が世界共通語になった


日本が頑張っていたときは、インターネットやLANによる情報の共有などのない世界でした。

海外とやりとりをするときには電話かFAXだったことでしょう。
しかも言葉の問題と国際電話料金の高さの問題もあり、一般の社員が海外に電話をすることなどはなく、海外とのやりとりはもっぱら国際部の人間が行うか、商社を通して行う、そんな環だったと思われます。

したがって、いくら会社が海外に物を輸出していたとしても、一般の社員は海外の人と接するチャンスはほとんど無く、また、海外に赴任する人数も限られていました。

ところが、現在は世界中にインターネットが普及し、誰でもがいながらにして世界中の情報を見ることができ、世界中の人とメールや電話会議、ビデオ会議などでやりとりできるようになりました。

これは世界を根本から変えるほどのインパクトでした。
アフリカからだろうとアジアや東欧からだろうと、言葉さえ通じればアメリカやヨーロッパの国々の人と簡単に直接連絡が取れるようになったのです。

またインターネットのおかげで、わざわざ相手の国に行ったり、物を送ったりしなくても仕事を依頼することができるようになったのです。


●インドの台頭

2000年問題の時、アメリカではすべてのシステムをチェックしなくてはならないという膨大な作業量に対して、アメリカのシステムエンジニアだけでは到底対処できないという事態に直面しました。

その時に苦し紛れに考えた事がインドに外注することでした。
幸いインド人は英語が使えるし、ITに強いという評判がありました。
しかしながらアメリカとしてはそんなに期待はしないで、なんとか補助的にでも効果があれば程度の期待だったかもしれません。

ところが、実際に仕事が終わってみると仕事の品質は変わらず、コストは圧倒的に安かったのでした。

ここから、アメリカのインドへのアウトソーシングが怒涛のごとく始まりました。

今では、システムだけではなく、コールセンターから医療サービス、会計サービスなどなどインターネットを活用した欧米社会からかなりのボリュームのアウトソーシング業務がインドに流れ込んでいます。

このインドの台頭は日本にどのように影響を及ぼしているのでしょうか?

日本総研が2000年に発信した「成長するインドのソフトウエア産業」というレポートから見てみましょう。

******************************
世界的にIT(情報技術)革命が本格化するなか、インドのソフトウェ
ア産業が急成長を続け、経済成長の牽引役としての役割が期待されて
いる。折しも、99年は世界中でY2K(2000年)問題への対応が大きな
課題となり、対策ソフトとしてはインド製プログラムも米国製などと
同様、欧米中心に広く利用された。インド国内の業界団体である
NASSCOM(全国ソフトウェアサービス業協会)によると、99年までの
4年間にY2K関連の受注は25億ドルに上り、フォーチュン誌上位500社
のうち104社以上から受注したY2K関連プロジェクトが無事に年を越
したため、2000年を迎えても電子商取引ソフトなど継続的に受注を
獲得しているという。
(中略)

98年度の輸出相手国を構成比でみると、トップは米国で61%、次い
で欧州23%、日本は、言語の制約や関税の問題などにより4%にと
どまっている。

インドのソフトウェア産業成長の背景

インドのソフトウェア産業急成長の背景としては、古代からの数学
的発想や思考の素養を指摘する声もあるが、現実的なビジネスの側
面に照らすと、(1)低廉な労働コスト、(2)世界標準レベルの品質、
そして何よりも、(3)英語に堪能な技術者・人材の豊富さなどが挙げ
られる。欧米やASEANに比較して1/4から1/3程度の低廉な労働コスト
は、価格競争力を強め受注を容易にし、品質については、ソフトウェ
ア産業約1,000社のうち、137社はすでにISO9000シリーズや同等レベ
ルの認証を取得済みで、2000年度中にはさらに147社が認証される予
定である。また、英語に堪能な技術者の人材が厚いことは、インドの
ソフトウェア産業の強みとしてとりわけ特徴的である。年間12万人
近い大学卒技術者が輩出され、また、米国で活躍している技術者が
母国のソフトウェア産業の活況ぶりをみてインドへ戻る「帰国組」
が増加していることも、同産業を支える大きな要因の一つとなって
いる。


「成長するインドのソフトウエア産業」より
https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=17000
******************************


そう、このインドフィーバー。日本は言葉の制約のため充分活用することが出来ていないのです。

ソフトウェア産業において欧米の企業は優秀で低廉なコストのインドの人材を活用しているのに対し、日本では英語を使っていないので、幅広くインドパワーを使えず、日本人SEが1/4のコストのインド人に対抗しなくてはならず、エンドレス残業地獄に陥っています。



●中国の発展


中国は改革開放政策を開始し発展してきましたが、「世界の工場」といわれるようになったように、インドと違い工業生産を拡大させ製造業で発展してきました。そこでのポイントは、人件費の安さ。
最近でこそ、沿海部の都市の人件費が上昇しているといわれますが、それでもかなり安い人件費は強烈なインパクトが有ります。


一般管理職・技能工(5年以上の勤務経験)
             平均月額給与:2000~4000 人民元
生産ラインワーカー    平均月額給与:800~1500 人民元

(SMBCコンサルティング 解決情報 中国・海外ビジネス 2007年1月更新 より)


日本と中国のGDPの変化

年度    1993     2009
日本   4,340.89   5,068.06
中国    613.22   4,908.98


この猛烈に安い人件費を武器に圧倒的に安い価格で世界に物を輸出しまくりました。

そして、それに対する対抗策を日本は誤ってしまったのです。

この時、圧倒的に格差のある人件費で競争をするのではなく、中国にできない分野にシフトする、人材の高度化をすすめイノベーションを起こす方向に進むべきでした。

ところが自民党政権と経団連が進めたのは、人件費を下げる政策でした。それまで禁止されていた製造現場への派遣解禁、そして、研修制度という名前を借りて、中国人などの外国人を工場の現場の単純作業への受け入れなどです。

これで日本の製造現場の強さを破壊しました。それまでの製造現場は、一人ひとりが日々改善活動、TPM(Total Productive Maintenance「全員参加の生産保全」)などを行い、日本の強さは”カイゼン”だとして世界中が学びに来た製造現場ですが、それは現場の社員の会社への長年勤続によって培われた忠誠心と学習、積み重ねた経験によって実現出来ていたものでした。

それらの忠誠心とスキルの高い従業員をコストが高いという理由で、派遣や労働基準法の水準すら満たさない劣悪な労働環境で働かせる外国人労働者に置き換えたのです。

この人件費での対抗という悪魔の選択は、日本人の人件費が中国の人件費に近づいていくという当然の結果につながっていきます。

結果、一人当たり国民所得では1997年に3,031,600円と最高になったとは低下を続け、10年以上たった現在もその水準を下回っています。

これは今の日本に大きな下落圧力を与えています。
一人当たりの平均で下がっているのですから、日本全体の所得が大幅に下がっている→モノが売れない→価格を下げる→人件費を下げる というデフレのサイクルに直結しています。

この結果、日本国内の消費市場は小さく小さくなっていって、車は売れない、家も売れない、デパートは前年比2桁減が続き、今やスーパーでも売れない、どうすればいいんだという状況に陥ってしまいました。


どうすればいいんだ~!!


あなたならどうしたらいいと思いますか?



でも中国が世界に進出して、安いものを世界中に輸出しているのは、何も日本に対してだけではなく、世界が影響を受けているはず・・。

しかしこの中で、一人当たりGDPを伸ばしている国を見れば、どうすればいいかわかるはずですよね。

財団法人国際貿易投資研究所のホームページ
https://docs.google.com/viewer?url=http://www.iti.or.jp/stat/4-004.pdf

に出ている一人当たりGDPを見てみると、2008年時点で

1位 ルクセンブルグ
2位 ノルウェイ
3位 スイス
4位 デンマーク
5位 アイルランド

大国では

12位 オーストラリア
14位 アメリカ
15位 フランス
16位 カナダ
17位 ドイツ
18位 イギリス
21位 イタリア
22位 日本

と成っています。

ではアジアでは

19位 マカオ
20位 シンガポール

とこの二カ国が日本より上位に来ています。

ここで気がつくのが、世界のトップにいるのが北欧の小国が多いということ。

そして、日本とドイツを除いて、製造業が国の中心的産業ではないということではないでしょうか。

日本はかなり下になってしまっていますが、1995年の時点で日本の上にいたのは、ルクセンブルグとスイスの2カ国だけだったのですから、日本の落ちぶれ方がわかります。

アジアの中では、シンガポール。1990年時点では日本の半分しかなかったのが、今や日本を上回って豊かになっています。

ここでもう一つ付け加えておきたいもうひとつの重要な要素は・・。

日本より上位にいる国は、ほとんどが英語でビジネスを行っているということ。


さあ、今後日本はどのような方向に進んでいけばいいのか?
なんとなく見えてきたのではありませんか?

少なくとも、中国と製造業分野でガップリとコスト競争を挑んだら日本人が、今後もどんどん貧しくなっていくのは間違いないでしょう。


早く日本を改革してグローバルに対応できるようにしなければ、気がつけば、韓国に抜かれ、インドネシアやタイ、フィリピンなどにも抜かれた日本になっているかもしれません。



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